“松坂以上の逸材”丹波慎也さんと上地雄輔の話

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かつて、横浜高校に在籍していた伝説の投手の話です。

渡辺元智・横浜高校元監督は彼を評して“松坂以上の逸材”といいます。

“松坂以上の逸材”とは

“松坂以上の逸材”と言われる伝説の投手とは、かつて横浜高校野球部に在籍していた丹波慎也投手です。 丹波投手は阿部真宏(元近鉄→オリックス→西武)、松井光介(元ヤクルト)や幕田賢治(元中日)と同級生にあたります。

1995年夏の神奈川県大会終了後に新チームでエースで4番に指名された丹波投手。しかし新チーム発足直後の8月17日の朝、丹波投手は急性心不全で亡くなりました。丹波投手に憧れて横浜高校へ入学し、兄のように慕っていたという上地雄輔が当時のことをブログにこう綴っています。

グラウンドから合宿所に選手全員が呼び戻され、監督からそれを宣告された日。

俺は前の日に
「ちょっと預かってて♪」
と言われたピッチャーが一人一人一個づつ持っているピッチングボールを(今もかたみに持っている)持って最後の方に合宿所の食堂に入った。
先輩達はウキウキして言っていた。

「この前あんな良い試合したから今日は練習やすみか(笑)?」

「ないない(笑)」

「あら?そういえば丹波は?」

「あいつ調子に乗って寝坊じゃね(笑)?」
すると涙目の監督と部長、コーチが入ってきて、全員
「?」という空気になった。
監督は途切れ途切れ言った。

「今‥連絡が来て‥丹波が‥亡くなった‥」
「‥‥‥」

ざわついた空気が氷ついた。
いや。
「はい?」

という感じだった。
合宿所の食堂は長生きしてるセミの鳴き声だけが鳴り響いていた。
しばらくして3塁コーチャーをやっていた斉藤タケシ先輩が

「ぅ、ウソだ。」

「ウソだぁぁああ!!!」
と泣き崩れた。

それからは早かった。
みんな次々に泣き崩れてった。
よくドラマとかでいきなり悲しい事があると物を落としたりするでしょ?
あれ本当だよ。

俺は合宿所で丹波さんに返そうとしてたボールを

「‥ボトッ」
と落とした。

丹波投手がつける予定だった「背番号1」を欠番として秋季神奈川大会に臨んだ横浜高校は、決勝で東海大相模に3-5で破れたものの関東大会へ進出。関東大会では松井光介が背番号1を引き継ぎ、初戦で宇都宮南(栃木)に辛勝の後、 準々決勝では甲府工(山梨)を9-2のコールドで撃破。続く準決勝で拓大紅陵(千葉)に4-5で破れたものの、翌年のセンバツ出場を果たしました。

この頃から、渡辺監督の指導もスパルタ方針から、選手との対話を重んじる、今の横浜に近い、大人のスタイルとなっていた。折しも、94年からは同級生の小倉 清一郎コーチを部長として招いていた。このことで、技術的なことやチームプレー的なことは小倉コーチが見て、渡辺監督はもっぱら生活的な部分や精神面についての指導を中心としていく体制になっていった。

(出典:Livedoorニュース

丹波選手が亡くなったことで、指導方法を大きく変えた渡辺監督はその2年後にあの松坂大輔を擁し春夏連覇を達成し、横浜高校は黄金期を迎えます。その後の成瀬、涌井、筒香らの活躍は説明するまでもないでしょう。

横浜高校の黄金期の礎となった丹波慎也投手、横浜高校黄金期の象徴である松坂大輔、 一緒にプレイしたことのない二人の接点は、あの上地雄輔なんです。

一個上に丹波さん、一個下に松坂。 試合で2人の球を受けた事があるキャッチャーは世界中探しても俺しかいない。

 横浜高校野球部を率いて約50年。甲子園で5度の全国制覇、1998年には春夏連覇を果たした渡辺元智氏。激戦区の神奈川で母校を強豪に育てた渡辺氏は、生徒とどのように接してきたのか。ノンフィクションライタ...